ヘアドネーションは偏見を助長しない

 ヘアドネーションを行っているJHD&C(ジャーダック)の渡辺貴一氏が、ヘアドネーションが偏見を助長すると主張している。
 どういうことかというと、かつらを寄付することで「かつらが必要だという無意識の押しつけになっている」というのである。

https://laundrybox.jp/magazine/hair-iikoto/
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_633f7364e4b04cf8f36bffc5

 一見それらしいが、変な主張だ。これは化粧品を販売したら「化粧をしなければならないという無意識の押しつけになる」と言っているに等しい。

 渡辺氏の主張は詭弁である。しかもシンプルでありながら手強い詭弁だ。以下に、これがどのような詭弁かを見ていく。

子供がかつらを欲しがる原因

 まず、かつらを寄付することで「かつらが必要」という無意識の押しつけになっているという主張は本当だろうか。
 これが正しいのであれば、かつらの寄付を止めれば子供はかつらを欲しがらなくなる筈だ。しかし、かつらの寄付を始める前から子供はかつらを欲していた。だから、子供がかつらを欲する原因はかつらの寄付ではない。

 子供がなぜかつらを欲するかといえば、子供には普通髪の毛があるからだ。これが中年以降の男性であれば、禿げは珍しくないからさほど恥ずかしくない。女性であれば中年以降でも禿げは珍しいから、かつらや帽子で隠そうとする(抗がん剤治療中の人のためのかつらがある)。
 禿げを恥ずかしいと思うかどうかは、周囲の人間に比べて珍しいかどうかで決まる。禿げている子供は極めて少ないため、禿げを恥ずかしく感じる心理が強く働く。
 また子供は自我が確立しておらず同調圧力に弱いため、他人と違うことをより強く気にしてしまう。

偏見を助長するのか

 渡辺氏は「子供は元々かつらを欲するが、かつらを寄付することがそれをより助長する」と主張したいのだろう。
 しかしどの程度助長するのか、確たる根拠はない。かつらを寄付する前は禿げでも平気だった子供が、寄付後はかつらを欲しがった、という事例でなければ助長したとはいえない。そんな事例がどれくらいあるのか疑問だ。

 また、かつらを寄付することが「かつらが必要だという無意識の押しつけになっている」と主張するのであれば、それは最初に挙げた化粧品の例のように、世の中のいろんなことに当てはまる。
 おしゃれな服を販売すれば「おしゃれな服装をしなければならない」、脱毛の広告を出せば「脱毛しなければならない」。いろんなことが問題になる。

 社会の中で、人間はあらゆるところから影響を受ける。それが過剰な悪影響であれば問題だが、渡辺氏は数ある影響の中の一つを取り立てて「問題だ」と騒いでいるに過ぎない。

理想社会はすぐには来ない

 渡辺氏は無意識の偏見があると指摘した上で「無意識の差別をなくし、必ずしもかつらを必要としない社会を目指す」、つまり禿げたままでも平気で暮らせる社会を、と主張している。

 これは正論である。だが問題は、どうすればそのような社会が来るのか、渡辺氏は何も示していないし、来るとしてもすぐには来ないということだ。

 例えばアイドルや女子アナのように、女性は美しい方が人目を引く。そのため化粧・美容市場は巨大産業になっている。
 そこで容姿による差別をなくし、不美人な女性が化粧も美容もしないままに他の女性と同等に評価される社会を今すぐ作れるか、というと無理だ。美しさ・化粧・美容は人間の本能に基づき、長年の歴史がある行為だからだ。

 子供が禿げでも恥ずかしくない社会も同様だ。そうであれば、かつらを被って一時的に凌ぐ方が楽な場合もある。
 渡辺氏の主張は理想論であり、現実的ではない。

 禿げでも恥ずかしくない社会を目指すなら具体的な行動が必要であり、まず渡辺氏が禿げ頭にするべきだろう。

NPO・NGOの男性差別

 日本ユニセフ協会などの福祉活動・社会活動をしている団体の広報を見ていると、女性・子供(特に女の子)の写真や、女性への支援への要請が目立つ。
 そうした方が同情を集めやすく、寄付に繋がることは容易に想像がつく。だが男性・男の子は援助の優先順位が低いというメッセージを発することにも繋がる性差別的な行為だ。
 例えば災害で被災するのに男女差はない筈だし、貧困に苦しむ男女数にそこまでの差があるとも思えない。男尊女卑がある地域もあるだろうが、それも一部であって全体ではないだろうし、それが女の子と男の子にまで適用されているとも考えにくい。

 どの団体がどれくらい性別の偏った広報を行っているのか、各団体のツイートで調べた。
 2022年1月1日~12月31日に「女性」「男性」「女の子」「男の子」の単語が出るツイートがいくつあるかを調べた。
 期間を設定した検索は「検索語句 from:ユーザーID since:2022-01-01 until:2022-12-31」で行える。
 「女性」と「女の子」を合算して、その割合を「女比」とした。

  女性 男性 女の子 男の子 女比
ヒューマンライツ・ナウ 37 0 0 0 1
国連UNHCR協会 30 1 8 0 0.97
日本ユニセフ協会 10 0 7 1 0.94
フリー・ザ・チルドレン・ジャパン 8 0 4 1 0.92
赤十字国際委員会 8 0 0 1 0.89
国境なき医師団日本 17 3 0 0 0.85
AAR Japan 難民を助ける会 29 7 2 0 0.82
国連WFP 48 11 9 3 0.8
日本財団 7 4 5 1 0.71
グリーンピース・ジャパン 8 4 1 0 0.69
日本赤十字社 0 0 0 0 0

 日本赤十字社を除いてすべての団体で女性重視・男性軽視という結果になった。これは個別の団体の問題ではなく、今の社会全体の問題だということだ。

 現実にある男女格差を埋めることは大事だ。しかし必要性を超えて女性ばかりを「弱者・救済すべき存在」として扱うことは、「女性=弱者」というステレオタイプを固定化し、むしろ男女格差を保持し続ける。女性のためを思ってやっていることが逆効果になるのである。

 また男性と男の子は平等に救済されていないのではないか? という懸念も生まれる。平等な救済を目的とした団体でこのような疑いを持たれる広報は問題である。

#弱者男性

なぜネットには文章の読めない人がいるのか

 ネットに書き込みをしていると、こちらの文章はせいぜい中学校の国語レベルの簡易さなのにもかかわらず、まったく理解せずに見当外れの反論をしてくる人に出くわした経験のある人はけっこういると思う。
 大抵の人は小・中・高校で国語の授業を受けている。日本の国語教育は読解ばかりだったのだから、文章は読める筈だ。なぜ簡単な文章が読めないのだろうか。
 その理由は主に3つ考えられる。

感情的になっている

 「人間は感情にかられて行動するが、あとから理性によって弁解する」

 これは、なだいなだ『透明人間街をゆく』(1973)に書かれている言葉だ。つまり人はまず感情によって行動し、後からその行動を正当化する理屈を考える、ということだ。

 大抵の人は国語の授業を受けていると書いたが、国語の授業で使われる教材は古い小説の一部などであり、人の感情を強く刺激するものではない。
 それに対し、ネット上にある話題は現代的で過敏になりやすいものが多い。一般的に政治・宗教・野球の話題は避けろと言われるが、それだけでなく年収・学歴・容姿・年齢・性別・差別・表現規制フェミニズムLGBTヴィーガンなど、日常の中に入り込みやすく紛糾しやすい話題がたくさんある。

 話題の中にそれらの要素が入っていると人々は過敏になり、冷静に文章を読めなくなる。自分の信念を正当化しようとし、感情的になる。自分の都合のいいところだけ読み取り、都合の悪いところは無視し、ときには書いてないことまで読み取る。

 実例がある。
 新聞記事きちんと理解せずに「怒り」 大川小遺族に「殺人予告」した元講師の思い込み
 東日本大震災津波で犠牲となった大川小学校の児童らの遺族が宮城県石巻市を訴えて勝訴した新聞記事を見て、元講師の男性(40代)は「亡くなった教師が責められている」と思い込み、児童遺族に「殺人予告」などと書いた文書を送りつけた。

 この男性は小学校の講師として働いていたことがあり、学校安全に関心を持って大学院で研究していたという。そのくらい学のある人物でも新聞記事をちゃんと読まずに思い込みで脅迫をした。
 まさに感情的になったせいで文章が読めていない例だ。むしろ「読もうとしていない」といえる。

つまみ食い

 これも感情的であることの一例だ。
 「つまみ食い(チェリー・ピッキング」とは、議論の際に、複数の事例の中から自分の意見に有利な事例のみを取り上げることをいう。
 文章を読むときにも、これと似た事象が起きていると思う。

 人は論考を読むとき、「ふむふむ、なるほど」とか「それはおかしいんじゃないか?」とか考えながら読む。全体の論旨を把握して自分の意見を出すには全体を読み終える必要があるが、読んでいる最中から論考を細かく分割し、部分部分で自分の考えを頭の中に出しながら読むことで理解を進めようとする。

 そのとき、ある部分で「この(部分の)意見はおかしい」と感じると、書き手への疑心・拒否感が生まれ、その時点で「この論考全体はおかしい」と結論づけてしまう。
 そして早速自分の意見を表明したいという自己顕示欲が生まれ「もの申したい」欲求が強まり、全体を理解せず、部分的な理解のままネットに書き込んでしまう。

 また、意見を述べた文章には、筆者の一番言いたいこと(主張・論点)がある。それを読み取るよう国語の授業では指導された筈だ。
 しかしつまみ食いが起きると、筆者の一番言いたいことは無視し、些末な誤りを指摘して全体を否定した気になる。

 ネットサーフィンをしている最中に、一つ一つの記事について全体を読んでじっくり考える余裕はあまりない。瞬間的に頭に浮かんだ意見が正しいと直ちに結論づけ、自己満足に浸る性質が人間にはあると思う。

スキーマの誤り

 人は文章を読むとき、1文字ずつ正確に目で追っているわけではない。

 学校で生徒に教科書を朗読させる際、生徒が細部を間違えて読み、本人がそれに気づかないまま朗読を進めることはよくあったのではないだろうか(空目という)
 それは文字を目で飛び飛びで追っており、その間は予測で補間しているからだ。

 このことは タイポグリセミア現象 日本人だけに読めないフォント からも伺える。

 この予測を心理学の用語でスキーマという。
 スキーマのために、人は素早く文章を読める。しかしこの予測が間違うこともあり、そうすると教科書の朗読のような誤りを起こす。
 ネット上の文章を読み誤るのも、このスキーマの働きが一因だろう。

 そうはいっても大抵の人は小・中・高校で国語のテストを受けてきた。文章が読めないほどのスキーマの誤りが起きていたら赤点の筈だ。
 これは学校のテストだったら自分の評価に関わるから真剣に読むが、ネット上の文章は適当に読むからだろう。それに加え感情的になっていることで文字を読む正確度が落ち、スキーマの誤りが起きやすくなる。だから読んでない所を自分に都合のいいように補間する。

まとめ

 多くの日本人には、基本的な文章読解力はある筈だ。しかし、
 ・ネット上には感情的になりやすい文章が多いため、正確に文章が読めなくなる。
 ・スキーマによって、読んでいないのに読んだつもりになり、書かれていないことを読み取ったりする。
 そのため、文章の内容をまったく理解せずに反論してくる人がたくさん生まれる。文章読解力はあっても精神力が足りていないのだろう。

 そもそもネット上は便所の落書き程度にしか思っていない人も多く、ゴミのような書き込みが大半だ。反論の書き込みもそのつもりで気軽に適当に行っていれば、まともなものにはならない。

対応

 こういった文章の読めない人に絡まれたらどうすればいいか。

●まず怒らない
 こういう頭の構造が理解不能で信じられない人を見るとどうしても頭に来てしまうが、相手が感情的になっているということをまず理解する。感情的になっている人に何を言っても無駄だ。

●相手にしない
 感情的になっている人に「ちゃんと読め」と言ったところで読まない。だから相手にせず、放っておく。

●ブロックする
 話が通じない人を相手にするよりは、話が通じる人に語りかけた方が有益だ。世の中には無数の人がいる。わざわざネット上の会ったこともない、話の通じない人を相手にする必要はない。

結果論は無意味な論理

 結果論とは何だろうか。なんとなくわかるようでわからない言葉ではないだろうか。
 広辞苑には「原因や経過を無視して、ただ結果だけを見てする議論」とあるが、これではよくわからない。

 結果論とは「結果を元に、その前の段階の結論を論じること」だ。

例)今朝、天気予報で雨だといってたから傘を持ってきたが、雨は降らなかった。なら傘を持ってくる必要はなかった。

 この論理はおかしい。朝の段階では雨が降らないことは知りようがないのだから、朝の段階で「傘を持たなくていい」という結論に至ることはできない。

 〔前提〕雨が降りそう→〔結論〕傘を持っていく→〔結果〕雨は降らなかった

 こういう時間の流れがあり、結果が出た後に結論に遡ることはできない。だから「傘を持ってくる必要はなかった」と言ったところで無意味だ。結果論は無意味な論理だ。

常に自分を正しく見せる

 結果論を使うと、どんな結果が出ようが自分の意見を正しく見せられる。

例)コロナ禍で東京オリンピックを開催した。
 →結果A:陽性者がかなり増えた。
 →結果B:陽性者は特に増えなかった。

 結果Aのときには「だからオリンピック開催に反対だったんだ」。
 結果Bのときには「だからオリンピック開催に賛成だったんだ」。
 こう言えば、結果がどちらであれ自分を正しく見せられる。

 これは後出しジャンケンで、卑怯で無意味な意見だ。
 オリンピックを開催すべきかどうか、それが知りたいのは開催を判断する前なのだから、そのときに意見しなければ意味がない。
 結果論は、事前の問題解決の役に立たない。

意見が当たったからといって自慢する

 上記の東京オリンピックの例で、陽性者は特に増えなかったとする。そのとき、開催前から開催に賛成していた者が「ほら見ろ、だから開催しても問題ないと言ったじゃないか」と言ったとしても、それもまた結果論だ。

 開催して陽性者が増えるかどうかは複雑な問題であり、高精度の予測できない。開催に賛成していた人だって、絶対に陽性者が増えないという確信はなかった筈だ。陽性者が増えなかったのは、たまたまそうであったに過ぎない。

 だから「感染者が増えなかった」という結果が出てから「ほらみろ」と言っても、それはたまたま当たったことであり、自慢できることではない。

批判に使われる

 結果論は批判に使われることがある。

例)溺れている子供を助けようと男性が川へ飛び込んだ。しかし2人とも命を落としてしまった。
 これに対する批判「他に助ける方法があったはずだ。この男性の行動は間違いだった」

 この批判は、結果的に2人とも亡くなったという結果を受けて論じている。もし2人とも助かっていたら、この批判はできない。
 結果を受けてから意見を決めれば、意見が間違うリスクを負わずに相手を批判できる。

 このように、結果だけを見て都合よく批判する例は社会の中に無数にある。結果を見れば誰だって簡単に人を評価できるからだ。難しいのは、結果が出る前に人を評価することだ。

カラー原稿を300dpiで読み取る際のモアレ除去

 カラー原稿は基本的に600dpiでスキャンして350か300dpiに縮小することでモアレを除去するのだが、スキャンに時間がかかる。なので全ページカラーの本などページ数が多い場合はモアレ覚悟で300dpiくらいでスキャンするのだが、後でフィルター処理をすることによってモアレをある程度軽減できる。

フィルターの種類

●XnConvertのノイズ除去
 [動作を追加>フィルタ>ノイズ除去]
 1,2ピクセル程度の細かい粒子を平坦にする。

Photoshopのノイズを軽減(CS6で確認)
 [フィルター>ノイズ>ノイズを軽減...]
 4つのパラメーターでノイズを消す。パラメーターの効果は以下。
  強さ           :ノイズを消す強さ
  ディティールを保持    :エッジのディティールを残す
  カラーノイズを軽減    :(必要ないのに上げると彩度が下がる)
  ディティールをシャープに :エッジをシャープにする

●他に
 Neat Image などの専用ソフトもある。「ノイズ除去」などで検索すると出てくる。

比較

引用元:『終わらない怪談 赤い本』作 緑川聖司・絵 竹岡美穂ポプラ社

 やはり600dpiでスキャンしたのが一番きれい。
 WebPなどは平坦な画像ほど圧縮しやすいので、XnConvertなどの簡易的なノイズ除去であっても、ノイズを平坦にするとでファイルサイズが減る。

読み取り部の内側のホコリを取るには

 スキャナーの、読み取り部のガラスの内側にホコリが入ってしまうことがある。
 こうなるといくら表から拭いても取れない。ドキュメントスキャナー(紙送りするタイプ)だと読み取り結果に無残な縦筋が入ってしまうので大変困る。

 ホコリの取り方をネットで調べると静電気を発生させるとあったので、クリアファイルをこすって読み取り部に当ててみたが駄目だった。

 今までに、次の2つの方法で成功したことがある。

 ◎ガラスをつま先で叩く
  ガラスが傷つくのが心配なら紙などを挟む。

 ◎電動歯ブラシを当てる
  歯ブラシの先端を当ててくるくる傾けると、振動の音が大きくなる箇所がある。その部分だと効いてる気がする。力は入れない方がよく振動するようだ。

 これらの方法でも、何度も試してようやく取れる。

ヴィーガンのキャットフードと療法食

ヴィーガンのキャットフードとは

 肉を含まないベジタリアンヴィーガンのキャットフードというものがある。日本ではAmiとBenevoという商品が見つかる。

 栄養面で問題はないのかという疑問については、

 A. 猫は肉食なのだから菜食は適さない(ただし一般のキャットフードにも穀類は含まれている)
 B. AmiかBenevoを10年以上与えているが問題ない

 という意見と証言がある。どちらももっともらしく、最終的な結論を出すには猫の栄養の専門家の意見が複数出揃うのを待つべきだろう。

ヴィーガンのキャットフードを与えてみる

 ところでうちの猫は尿にストルバイト結晶が出やすい体質で、放っておくと尿路結石になるおそれがあるため、ロイヤルカナンの「ユリナリーS/O オルファクトリー ライト ドライ」という専用の療法食を与えている。これには魚肉や動物性油脂が含まれる。
 ここでヴィーガンのキャットフードを与えても大丈夫なのだろうか。1ヶ月間、餌の3割にAmiを混ぜて与えてみた。

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 ひと月後、尿検査をしてみると、わずかなストルバイト結晶が出ていた。
 餌をユリナリーS/Oのみに戻すと、2ヶ月後の尿検査でストルバイト結晶は消えた。

現時点でヴィーガンで猫を飼うのは難しい

 やはりAmiとBenevoは療法食ではないので、療法食の必要な猫には適さない。
 どの猫だっていつ病気になるかわからないから、今、健康な猫にAmiかBenevoを与えていたとしても、いつか療法食が必要になる可能性がある。そう考えると、猫をヴィーガン食のみで飼うというのは無理がある。

 ストルバイト結晶に効くというサプリメントもあるのだが、フードで対処できるならフードで対処したいというのが獣医の話だった。

 ヴィーガン(完全菜食)の人で猫を飼っている人がいるが、猫にまでヴィーガンを徹底するのは無理ということになる。
 ヴィーガンというのは動物の犠牲をできるだけ減らすという思想だ。そうすると、餌のために多数の鳥や魚を犠牲にしてまで猫を飼うべきなのか? という倫理的問題が発生する。
 鳥や魚の犠牲を抑えるなら、捨て猫がいても救わずに見殺しにしなくてはならないのだろうか。これは難しい問題だ。

今後はどうなのか

 ヴィーガンの療法食が作られればすぐに解決するわけでもない。
 うちの猫は安い療法食から試していったが効果が出ず、どんどん値段を上げていってようやくロイヤルカナンで効果が出た(「ユリナリーS/O オルファクトリー ライト ドライ」は4kgで6000円前後)
 療法食も猫によって合う合わないがある。だからヴィーガンの療法食が1種類だけ作られたとしても、それで効果が出る可能性は高くはない。複数種類は必要だ。

 ヴィーガンを徹底して猫が飼えるのは、ヴィーガンの療法食が複数揃ってからでないと無理だ。
 猫が飼えないのは大変辛いことだが、ヴィーガンを徹底したいなら、菜食のウサギなどを飼うべきかもしれない。